第383回のスポットライトリサーチは、横浜国立大学大学院 理工学府 修士2年(研究当時)の野上 周嗣 さんにお願いしました。
野上さんが所属されていた跡部研究室では、電気化学を基盤として有機・高分子合成に関する研究を行っています。
アルキンからアルケンへの水素化は現行の化学産業ではリンドラー触媒が用いられており、高い選択性を持つ一方、鉛の毒性や環境負荷といった課題があります。そのため、電気エネルギーを用いてのアルキンからアルケンへの水素化についてはグリーンな手法として期待されています。以前から上記の反応を電気エネルギーを用いて行う際に使われる性能の高い合金触媒は見出されていましたが、触媒の詳細な構造や反応機構はわかっていませんでした。
今回、野上さんは電気エネルギーを用いたアルキンからアルケンへの選択的水素化における合金触媒の作用機構を解明しました。化学産業の”電化”の基盤技術につながるとも期待される本成果は、ACS Catalysis誌 原著論文・プレスリリースに公開されています。
“Mechanistic Insights into the Electrocatalytic Hydrogenation of Alkynes on Pt–Pd Electrocatalysts in a Proton-Exchange Membrane Reactor”
Nogami, S.; Shida, N.; Iguchi, S.; Nagasawa, K.; Inoue, H.; Yamanaka, I.; Mitsushima, S.; Atobe, M. ACS Catalysis, 2022, 12, 5430–5440. doi:10.1021/acscatal.2c01594
研究を指導された跡部真人 教授と信田尚毅 助教から、野上さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
跡部真人 教授より
野上君は、2019年4月に卒業研究生として、わたくしの研究室に入室し、2022年3月に修士課程を修了されるまでの3年間、リンドラー触媒プロセスに代わる高効率かつクリーンなZ-アルケンの電解合成のための固体高分子型電解反応器の設計、反応機構解析ならびに触媒探索に従事してくれました。研究の遂行に際し、わたくしの方では研究目的だけを与え、具体的な研究計画や手法は野上君の考案に委ねていたため、研究の初期段階では期待通りの結果が得られないことも少なくありませんでした。しかしながらそのような状況下においても野上君は辛抱強く問題解決にあたり、最終的には多くの成果をもたらしてくれました。このような輝かしい成果は、粘り強い精神力や柔軟な思考力は勿論のこと、確かな実験技術および方法論が備わっていること、加えて常に自身の資質を高めようとする野上君の強い研究意欲の証左であります。本人の希望もあり、修士課程修了後はプラントエンジニアリング業界の企業に就職しましたが、会社でも持ち前の能力を発揮し、今後も大いに活躍されることを期待しております。
信田尚毅 助教より
野上君は、私が跡部研助教に着任した2019年秋には学部4年生でしたが、その時点ですでにPt1Pd99を使った触媒系の優位性を発見・検証しており、研究者としての頭角を現していました。物腰は柔らかくありがながらも芯が強い人柄で、議論においては相手の意図を汲み取りながらも自分の主張をしっかりと伝えることができる優秀な人物であると感じていました(あとお酒がめちゃくちゃ強い)。当研究室は有機電解合成を専門とするため、有機化学・電気化学に関する知見はありますが、不均一触媒の合成や分析に関する経験は必ずしも多いわけではありません。そのため、本研究は学内外の共同研究者の皆さんの協力が必須でしたが、野上君はその中心人物として活躍してくれました。様々なバックグラウンドの研究者の間に立ち、プロジェクトのゴールへと引っ張った経験は、必ずや今後の仕事でも役に立つものと思います。会社でも大活躍してくれることを楽しみにしています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
この研究では、アルキンからアルケンへの選択的水素化反応を扱っています。アルケンは香料や医農薬品といった化成品製造に使われていますが、現行のアルケン製造の産業プロセスには毒性や環境負荷などの課題があります。そこで当研究グループでは、電気化学的なエネルギーのインプットにより有機合成を行う有機電解合成と、効率的な水素発生を達成できる固体高分子膜型水電解という技術を組み合わせて、アルキンの選択的な直接電解水素化法を開発しました(図1)。[1] 電気エネルギーを効率的に利用でき、有害廃棄物を出さない反応プロセスとなっています。
直接電解水素化法においては、電極の金属触媒に水由来の活性水素種が吸着し、水素ガスを経由せずにアルキンの水素化が進行します。反応場となる電極の金属触媒はこの反応プロセスの性能にとって重要です。そこで、この金属触媒の性能向上のため、合金触媒の開発を行いました。その結果、従来のPd触媒にPtを1%だけドープしたPt1Pd99の組成比の触媒が、最高の性能を示すことが判明しました。[2]
Pt1Pd99という極端な組成比の触媒が最高の性能を示すことは非常に興味深い現象です。そこで本研究では、この触媒によるアルキンの直接電解水素化のメカニズムを調査しました。その過程で、電極触媒上での活性水素種のその挙動や吸着している場所について、電気化学測定を用いて調べることに成功しました。これは合金触媒開発や更なる難分子の電解合成に大きな知見をもたらすと考えられます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
実験結果の見せ方に多くの時間を割きました。現場研究者として3年間活動しましたが、自分の研究を外部に発信し理解してもらうことの重要性を何度も実感しました。そのため、結果をわかりやすくキャッチーに提示できるように努めています。
本論文においては、三次元チックな模式図で合金触媒のモデル図や触媒メカニズムを示しています。また、グラフもカラフルな配色を心がけて印象に残りやすくしています(図2)。
近年の一流誌に掲載されている論文の図を見てみると、デザイン的に洗練されたものが多くを占めるようになってきました。この研究がACS Catalysisというハイインパクトジャーナルに採択された理由のひとつに、デザインの工夫があると思っています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
本論文のメインテーマである、電極触媒の触媒メカニズムの解明がやはり大変な部分でした。
アルキンの部分水素化は比較的ポピュラーな研究分野で、様々な触媒が開発されその触媒機構について研究が進んでいます。しかし、これらは水素ガスの持つ化学エネルギーを用いた一般的な水素化に限られており、今回の電気エネルギーを利用した電解水素化とは大きく異なると予想されました。さらに、Pt1Pd99という極端な組成比の合金触媒を使った電解合成はほとんど前例がありません。
そこで、触媒機構の仮説を数十通り立てて、そこから絞り込むために触媒の働きを実験によって徹底的に調べました。少しずつ条件を変えた百種類ほどの電気化学測定を実施しました。そこから得られた大量のデータを解釈し、触媒メカニズムの提案に至ることができました。ただ、この解釈が非常に難しく、結果としては金属触媒表面に吸着した水素原子の吸着状態(論文ではUPD-Hatopと表記)を新たに定義することで触媒メカニズムを説明できましたが、研究グループ内外の様々な専門家に納得していただくことに苦労しました。
幸いにもデータは豊富にあったので、提案を繰り返すことで肚落ちに持っていけました。面白いことに、同じ触媒メカニズムを説明しているにもかかわらず、専門家の方々によって納得されるデータに違いがありました。今回扱った電解合成における合金触媒の触媒メカニズムは、多くの分野の知見を必要としており、専門家によっても重要視するところが異なってくる非常に面白い分野だと感じました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
社会実装されるべき科学技術を見いだし事業化を目指す、という関わり方をしていきたいと考えています。私は今春からプラントエンジニアリング業界の企業に就職し、新規事業の探索を行う部門に配属されました。そこでは優れた科学技術を持つベンチャー企業に投資し、新規事業の立ち上げを行っています。
大学院での研究活動で多くの興味深い研究が行われていることを知りましたが、同時に事業化へのハードルの高さを実感しました。そのため、幣部門の活動で研究レベルの技術が事業化するまでの速度を上げる手伝いができればと思います。その際には、自分が専攻した”化学”にこだわらず、視野を広げて”科学”全体を見渡す必要があると考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
本論文のコア技術である有機電解合成は、昨今の環境意識の高まりに乗じて大きな注目を集めています。今回は水電解と不飽和炭化水素の水素化を組み合わせた電解合成を紹介しましたが、より広い化合物の電解合成が研究されています。
また、本研究で開発されたPt1Pd99のような極端に偏った組成比を持つ合金触媒の一部はSAA(Single Atom Alloy)と呼ばれ、近年研究が進められています。もし、触媒開発に興味を持たれた方がいましたら、SAAなどをキーワードに調べてみてください。金属触媒の奥深さに触れることができるはずです。
最後になりましたが、ご指導頂いた跡部教授、光島教授、長澤准教授、信田助教、X線吸収分光測定とメカニズムに関する議論でお世話になりました東京工業大学 山中教授、井口助教、触媒合成でお世話になりました石福金属興業株式会社井上様、そしてこのような貴重な機会を与えてくださった Chem-Station スタッフの方々に、この場を借りて心より感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:野上 周嗣 (のがみ しゅうじ)
所属:横浜国立大学大学院 理工学府 跡部研究室(当時)
研究テーマ:PEM型リアクターを利用した合金電極触媒によるアルキンの電解部分水素化法(当時)
略歴:
2020年3月 横浜国立大学 理工学部 化学・生命系学科 卒業
2022年3月 横浜国立大学大学院 理工学府 化学・生命系理工学専攻 博士前期課程修了
関連リンク
- Atsushi Fukazawa, Juri Minoshima, Kenta Tanaka, Yasushi Hashimoto, Yoshihiro Kobori, Yasushi Sato, and Mahito Atobe, ACS Sustainable Chem. Eng.2019, 7, 13, 11050. DOI: 10.1021/acssuschemeng.9b01882
- Shuji Nogami, Kensaku Nagasawa, Atsushi Fukazawa, Kenta Tanaka, Shigenori Mitsushima and Mahito Atobe, J. Electrochem. Soc., 2020, 167, 155506. DOI: 10.1149/1945-7111/abaae7
本記事は日本最大の化学ウェブサイトChem-Stationから許可を得て転載しています。
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